「フランソワ、村の人達を悪く思わないであげてね」
「どうした、急に深刻な顔になって」
 ヴェルヌイユとファニーの二人は緩やかな傾斜のついた坂道をのんびりと下っていった。自転車を押して進むヴェルヌイユの前方をファニーが歩く。葉の落ちかけた木々に囲まれた坂道はいささか寂しげだったが、まだまだ夏の余韻は残っている。太陽は明るく照りつけていたし、名前はわからないが、美しい花もいくらか咲いているのを目にすることができた。この村の近辺ではとにかく花をよく見かける。
「彼らは自分たちの生まれ育った豊かな土地で、これからもずっと穏やかで静かな暮らしを続けていきたいだけなの。だからあなたのように他所から来た人間に対しては、ポワティエ夫人にしても、大袈裟な拒絶を示したはずよ。彼女、最初は食料を売ってくれなかったんじゃない?」
「どうして知ってるんだ?」
「フランソワ、あたしはここで生まれたのよ。ここで生まれて、ここで育ったの。みんながあなたに対してどういった感情を抱いているかなんて、すぐにわかるわ。土地の調和を乱す、無害な相手と分かればおのずと反応も変わってくるから、あたしはあなたが飢え死にする心配はしていなかったけれど」
「きみはどうだった?」ヴェルヌイユは面白半分に問い掛けた。「おれをいけ好かない都会の男だと?」
「まさか!」それにつられてファニーも笑みを見せた。「でも、あたしみたいな変わり者はごく少数なんだから」
 ヴェルヌイユは繋いでいる左手を幸せそうに振り回す少女の姿を彼は微笑ましい気持ちで見つめた。
「あたしはね、フランソワ、あの人たちとは違うわ。いつかパリへ行きたいと思っているの。ここはあたしの生まれ育った土地だし、愛着はあるけれど……でも仕方がないわ。あたしの欲しいものは、ここじゃ手に入らないから」
「パリに行けば、きみの欲しいものは手に入るの?」
「絶対とは言い切れないけれど、でもこの村でくすぶっていたんじゃきっと手に入らないってことだけは、あたしにもわかるわ。あなた、映画を見たことはある? オペラは? イルミネーションで飾り付けられた、美しい冬のパサージュを歩いたことは? 通りですれ違った、見知らぬ女性とお茶をしたことはある?」
「もちろんあるさ」
「そうでしょう。つまりね、フランソワ、長年パリで暮らしていたあなたにとっての”あたりまえ”は、あたしが求めて止まないものなのよ。まったくみんな、どうかしているわ。ここに住んでいる人々はちっとも欲がないの。あたしだったらいまの戦況に乗じて、この土地で取れるたくさんの野菜やお肉を都会の人たちに高値で売りつけてやるのに」
「きみはやり手の商人になれるな」と、ヴェルヌイユは笑った。
 ヴェルヌイユはひんやりとした秋風に吹かれ、一秒ごとに形を変える彼女のスカートに視線を落とした。ファニーが自分に対し、純粋な好意を抱いているらしいことは知っているし、この無垢な少女の気持ちを邪険にしたくはなかった。以前までの彼であればいざ知らず、無慈悲に突き放すなどできようもなかった。これはごく最近になってからの心境の変化だが、彼の胸にはひとつの思いが芽生えていた。彼女にはこれまでひどい態度を取ってきた、その埋め合わせをしてやりたい。扇風機の件だけではない、食料を定期的に届けてくれたり、村の情報を教えてくれたり、ファニーから受けた恩は大きい。
 ファニーは語り続けた。「この村で、あたしはとても孤独なのよ。みんながみんな、両親が信仰しているからという理由だけでイエスを崇めて、両親が自分に宛がってくれた道をこれでもかってくらいありがたがるの。男は学校を卒業したらすぐに親の手伝いを始め、娘たちはといえばそこら辺の冴えない男と結婚し、退屈な家庭に落ち着くことになるわ。でもあたしはそんなのいやよ、自分の人生を自分の手で切り開きたいの」
 彼はこの溌剌とした少女の隣でただ曖昧な相槌を打ってやることが最良の優しさであると確信していた。思春期の少女が異性に抱く愛情など一時的なものに過ぎず、大抵は気の迷いである。きっと二、三年も経てばファニーはこうして自分と歩いていたころを思い出し、気恥ずかしいような気分に陥ることだろう。単なる憧れを含め、真っ当で健全な愛などそうそう長続きするものではないというのがヴェルヌイユの見解だった。とはいえ、それでも心のゆとりを得るに至ったいまの彼にとって、花柄のスカートをひらひらと揺らしながら輝くような瞳を自分に向けてくるファニーはたしかにいとおしく、そして魅力的に溢れているように思われた。



            
home