運動不足の彼にとって、この力仕事はなかなか骨の折れるものだった。パリにいたころは徒歩で移動することが多かったので体も引き締まっていたが、こちらへ移住してからは睡眠を取ることが仕事のようになってしまっており、お腹にぶよぶよとした肉までつき始めている始末だった。オディルとブリュノは既婚者らしく、頃合いを見計らって若い女性たちが水やタオルなどを持ってきてくれていたが、ヴェルヌイユにはそんな相手もおらず、ひとりせっせと作業するほかなかった。
「フランソワ、このタオルを使っていいわ」
一時間ほどが経過したのち、どこからともなくファニーが現れた。手には真っ白いタオルとワインのボトルが握られていた。今日は朝から一滴のアルコールも口にしていないのでこれはありがたい、と彼は思った。ブルーノが渋い顔をするので、最近は朝から酒を飲むのは控えていたのだった。もっともこっそり飲むことはあり、そのたびにばれては小言を並べられていたが。
「ありがとう、いただくよ」
ヴェルヌイユはようやく一息つける、と広場に設置した椅子に腰を下ろした。めっきり力仕事から遠ざかっていた彼に、今日の仕事はあまりにも酷だった。彼はワインを口にたっぷり含んだ。随分と薄味だが、悪くない味だった。
「お疲れさま、大変だったでしょう」
「いい運動になったよ」
そこへ彼と同じく、一仕事を終えたトマがやってきた。ヴェルヌイユは彼にワインのボトルを手渡した。トマは嬉しそうにそれを受け取った。よくよく観察してみると、このトマという青年は背丈もヴェルヌイユとさして変わらない、かなりの美丈夫だった。彼もファニーのお気に入りのひとりなのだろう、とヴェルヌイユは思った。年齢は二十歳前後といったところか。先ほど紹介されたオディルとブリュノに比べて、トマは明るく感じの良い男だった。
「きみたちはどういう関係?」とヴェルヌイユは尋ねた。
「どういう関係って」
トマとファニーはほとんど同時に笑い出した。しかし、答えたのはトマだった。「同じ村に住んでいる者同士さ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ファニーはこの村の全員と顔見知りなのか?」
「ええ、そうよ」
「覚えるのが大変そうだな」
「そうでもないわ、みんな昔からの馴染みだから、自然と覚えてしまうの。あなたはパリに住んでいたころ、アパルトマンに住んでいたの? ほかの住人とは顔見知りじゃなかった?」
「外で見かけたら挨拶くらいはしたけど、それだけだったよ。こうやって、世間話をしたりするような関係じゃなかったことはたしかだ。都会の人間関係なんてそんなものさ」
「なんだか寂しいわね」ファニーは悲しげだった。「でもあたしもいつかパリに住んだら、そうなるのかしら」
「いいじゃないか、そっちのほうが。この村みたいに、どこぞの倅がレジスタンスに加わっただとか、そういった噂がすぐに広まらないのは良いことだ。ポーランドやチェコじゃナチスが村を丸ごと焼き打ちにしたって話だぞ、レジスタンスを匿った罪で」
「村を焼き打ちに?」
「皆殺しさ」
ヴェルヌイユはぎょっとした。同じ時代に行われている出来事とはとても思えなかった。中世じゃあるまいし。「まさか」
「仕方がない、これでも戦時中なんだ。この村だって一見平和に見えるだろうが、レジスタンスに一枚噛んでるって連中は少なくない。郵便局に行けばわかる、たまにビラが貼られているから。《フランス国民よ、立ち上がれ!》って」
「そうそう、郵便局員のバジルはレジスタンスの支持者なのよ」
「立ち上がれと言われたって、具体的になにをすりゃいいのかさっぱりわからないけど。兵舎や線路を破壊したりすればいいのか?」トマは興味なさげに言った。「たかだかその程度のことでやつらに打撃を与えられるのが疑問だよ」
「ファニー!」広場の中央からファニーを呼ぶ声が聞こえてきた。こっちにきて手伝ってくれない? 野菜を切るのよ」
「待って、すぐに行くわ!」
彼女は地主の娘らしく、方々に引っ張りだこのようだった。「それじゃフランソワ、またあとでね」
ファニーは大きな鍋の置かれた場所に向かって走って行った。ヴェルヌイユとトマは彼女の背中を見送った。
「彼女の親父さんは親ナチだと噂されてる」トマは薄味のワインを口に含みながら話を続けた。「この村でも若い連中は比較的レジスタンスを支持しているんだ。でも年寄り連中の大半がそれを許さない。彼らは残り少ない余生を平穏に過ごしたいのさ。気持ちはわからないでもないけどね。あんたはどう思う?」
「レジスタンスについて?」
「そう」
「パリの友人で抵抗運動に加わっていたやつを知っているが、ナチスの連中に殺されたよ。死ぬ覚悟があるなら別として、中途半端に首を突っ込むのはやめたほうがいいと思う」
「殺された? 収容所に送られたのか?」
「いいや、街頭で撃ち殺されたと聞いている」
ヴェルヌイユはまるで他人事のように語って聞かせたが、これはイザベルのことだった。思い出すだけで胸が締めつけられたものの、この話を誰かに聞かせることによっていくらか気持ちが楽になったように思われた。彼はズボンのポケットから煙草とライターを取り出しながら言った。「煙草、吸うか?」
「煙草はやめたんだ、彼女がいやがって」
「おれにもそういう時期があったよ」
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