「どうした?」
「いや、別に」
「なにか食べたいものでもあったか?」
「いいや、大丈夫だよ。きみの注文で問題ない。ただ、一対一できみと店に来るのは初めてだなと思って」
「そんなはずない。なんだかんだで長い付き合いなんだ、お前が忘れているだけで一度や二度くらいはあっただろ」
 ヴェルヌイユはしばし考え込む素振りを見せたが、自分の記憶に相違あるはずがない。彼はきっぱりと答えた。「ないね、今夜が初めてだ」
「お前やエドガーの記憶力には驚かされるよ、おれは忘れっぽいから。よくおおらかだとか、根に持たないだとか言われるけど、あれも単に忘れっぽいからってだけなんだよな。みんなおれのことを買い被りすぎている」
 まずは酒の肴と前菜、そしてワインが運ばれてきた。初めて面と向かって酒を飲み交わすだけあって、二人の会話は驚くほどよく弾んだ。
「女性と付き合っても毎回それで振られるんだ、付き合ってくれと頼んできたのは向こうからだっていうのに“あなたって想像していた人と違うのね”だってさ。もう何度同じ台詞を言われたことか。お前、いま恋人はいないのか?」
「いるけど、ほとんど連絡を取っていないんだ。そのうち別れることになると思う」
「お前さ、将来は結婚して家庭を持ちたいと思う? 子供が欲しいとか、そういった願望は?」
「いまのところは持っていないし、将来的にそういう願望が芽生えることはないような気がする」
「だよな、おれもそうだ」エミールは頷いた。「でもエドガーとイザベルの一件を聞いてから、ここ最近ずっと“結婚”というやつについて考えていたんだ。色んな人に意見を聞いて回ったりもしてみた。そこでおれは、ひとつの結論に辿り着いた。それはだな、フランソワ、結婚願望のある人間に、結婚願望のない人間の気持ちはわからない。結婚願望のない人間に、結婚願望のある人間の気持ちはわからないということだ。おれに言わせれば、結婚なんてものは端から人生の選択肢にない。でも、それを聞いた彼らは驚きの形相でこう訊ねてくるんだ。落ち着きたいという気持ちはないのか、独占欲はないのか、子供が欲しくないのか、愛する人と添い遂げたくないのか、って」
「ああ、おれもよく言われる」
「恋愛が結婚に直結している人は誰かに認められたいって願望が強いか、もしくは一人で生きていくという孤独に耐えられない人間なのだろうとおれは思う。もちろん、彼ら以外にも種類は色々ある。独特の世界観を持っているやつは二人の世界にのめり込んで、その勢いで結婚してしまう。この手の夫婦は数年も経てば我に返って、たいてい離婚することになるわけだ」