芝生に腰を下ろし正面に広がる雑木林を見つめていたヴェルヌイユは無性に手持ち無沙汰だったので、最後の一本である煙草をおもむろに取り出した。イザベルが機嫌を損ねるのでパリで暮らしていた頃は滅多に吸うことはなかったが、ここへきて学生時代の悪い習慣が戻ってしまった。いまや彼にとっては、煙草は欠かすことのできない嗜好品のひとつだった。
取り留めのない物思いに耽り、気付くと一日が終わっていた。自由とロマンを愛し、ドン・キホーテに憧れ、近い将来は誰もが羨むような名声を得んと人知れず夢見ていた彼の情熱的な魂は余すところなく抜き取られ、いまや肉体だけがひっそりと呼吸を繰り返していた。フランソワ・ヴェルヌイユという男は、もはや魂を抜き取られた脱殻に等しかった。現に身投げしようと考えたことも何度かあったが、あいにく彼にそんな勇気はなかった。そんな彼の荒んだ心の慰めとなったのは、しばし夢に現れる若かりしころのイザベルだった。物心ついた時分から精神的な余裕だけは常に持っているよう心掛けていたヴェルヌイユは、漠然としたなにかに追われ、気忙しく人生を駆け抜けんとしている周囲の友人らに呆れた目を向けたくなることが多々あったが、実際のところ、彼自身もどこか前のめりになって生きていたことはたしかだった。しかしそれでも彼はふと充実していた過去を懐かしみ、平凡な日常のなかにも他愛ない喜びと新鮮さが確かに存在していたあの日々を再び取り戻せることができるなら、どんな犠牲をも払う覚悟がある自分自身にまたえも言われぬ虚しさを覚えるのだった。
だというのに、ここへきて彼の精神状態に変化が表れたのだから、人の心とは不思議なものである。例の青年は彼の胸に小さく存在していた、ある希望とも呼べる思いを刺激したようだった。名ばかりの役所から通達されたイザベルの訃報など実はまったくのでたらめで、本当はどこかよその土地でまだ生き長らえているという可能性はなかろうか。世の中がかつての平穏を取り戻した頃、ひょっこりと彼らの元へ戻ってくる可能性は? ヴェルヌイユは快晴にも近い、澄み渡る青空を見上げては考えるのだった。孤独と絶望にあっても生きていたいという、異常なまでに死を恐れている彼が生み出した、これは愚かな幻想だったかもしれない。が、本当は彼女がいまだ生きているのではなかろうかという希望をヴェルヌイユは例のドイツ人を拾ってきてからというもの、ますます捨てきれなくなった。
「ひと足遅かったな、これが最後の一本だ」
彼はふと背後に人の気配を感じたので、そちらに向けて言葉を投げた。今朝の時点ではいまだ毛布に包まって完全なる無視を決め込んでいた青年も、外の空気を吸いたいという生理的な衝動には抗えなかったのだろう。後ろを振り返ると予想通り、あの青年がいた。
「吸うか?」
吸いかけの煙草を差し出すも、青年は興味なさげに首を振った。
それにしても、なぜ負傷したドイツ人があんなところに? ヴェルヌイユは改めて考えるのだった。
「……お前、フランス語は喋れるのか?」
「
Nein」
フランス語は通じないようだ。過去にドイツ人と交流を持ったことはあるが、そういえば彼らはみな一様にフランス語が堪能なフランス被ればかりだった。ヴェルヌイユは言語の壁を前にしてもさして怯むことなく、気だるげに立ち上がった。彼は心ここにあらずといった表情で周囲の景観を見回している青年に近づき、家の中へと戻るよう促した。「中へ入れよ、なにか食べるだろ?」