七月初頭のとある朝、寝覚めの悪い夢を見てしまったことからヴェルヌイユは浴びるようにラム酒をあおっていた。かつて友人と呼んでいた者たちは週に二、三回の頻度で人様の夢にずかずかと勝手に入り込んできては、繊細な構造をした彼の神経を苛立たせた。輝きを放っていたはずの思い出の数々も現実がさながら悪夢にも等しい無残な姿に様相を変えてしまった時点から、ヴェルヌイユにしてみれば忘れ去ってしまいたい記憶以外の何物でもなくなった。人間社会の道徳に関する見解がある程度の統一を見せるようになってきた現代において、被害者一同に許された身の施し方といえば、反社会的と見做されぬささやかな気休めをどうにかこうにか見つけ、自分自身を慰め続けるという道が唯一残されているのみである。所詮は気休めに過ぎないと理解しつつも、川で子供が溺れ死ぬような事故があれば遊泳禁止の看板を立て、ある区域において殺人が行われたなら警官に巡回を頼み、家の窓ガラスが破られていようものならそれから一週間、いつ犯人が現れても良いように周辺を見回るのである。彼らは明らかな被害者であるというのに、なぜだか感情を押し殺すことを求められる。間違っても復讐してやろうなどとは決して考えてはならない。罪を憎んで人を憎まず……これが善良な人々の一般的な正論らしかった。イザベルの葬儀から戻った妹のシュザンヌは憔悴しきったヴェルヌイユに言った。「彼女は秘密警察に拘留されたこともあるし、遅かれ早かれこうなるだろうってわたしは思っていたわ。仕方がなかったのよ。可哀想なイザベル、権力に盾つくだなんて。そんなことは若い連中に任せておけばよかったのに」
 彼女の言葉はもっともだったが、ヴェルヌイユは以後、シュザンヌとは極力顔を合わせなくなった。
 イザベルがこの世を去るというもっとも悲劇的な結末にたどり着かねばならなかった原因は、友人であったヴェルヌイユやエミールなど一部の者からすれば明らかだった。彼女自身、ナチス連中が言うところの劣等民族とやらの血を育ての親である祖母から受け継いでいたし、それだけでなく反ナチスを掲げる学生たちの地下活動を支持していた。具体的に言及するならば、イザベルの祖母ペラジー・ナビエは今でこそ平等と博愛を重んじる熱心なカトリック教徒だったが、元々は裕福な家庭に生まれ育ったユダヤ人だったので、ナチスから見ればイザベル自身もユダヤ人と大差ない存在だった。周囲の顔色を窺いながら上手く世間を渡っていくことのできる器用で楽天的な性質を持って生まれたヴェルヌイユとは異なり、見掛けによらず正義感が強く頑固者であったイザベルがそういった個人的な理由の有無に関わらず、理不尽な弾圧や罪なき人々の尊厳を一方的に奪うような悪行をただ傍観していられるはずはなかった。しかしヴェルヌイユとしては、彼女の正義に真正面から賛同することはできかねた。人並み以上の正義は、時にそれを主張する本人に牙を向けるのである。現に国家や社会といったものは利益を軸に回っているのであって、純粋な正義や個人の利益など求められていない。イザベルも大多数の者と同様の振る舞いをすべきだった。鎮痛の面持ちを浮かべてひそひそと陰口を言いながらもこれといった行動を起こすことはせず、その時が過ぎ行くのをただじっと耐え忍べば良かったのである。沈黙に徹したところで、善良な人々はイザベルを責めない。それどころか共感さえ示すだろう。イザベルが自らの保身に徹し、女性としての幸福だけを単純に追い求めていたならば、少なくとも彼女が時代の犠牲者となる事態だけは確実に避けられたことだろう。つまりヴェルヌイユが現在のような状況に置かれることもなかったのだ。