ヴェルヌイユの住まいはロブリーユ・ラ・フォレ村から歩いて二十分ほどのところにあった。彼は耳障りな金属音のする錠前を苛々とした手つきでこじ開け、その扉を開けるやいなや玄関に倒れ込んだ。石橋から自宅までの道のりがほとんど森に囲まれた日陰であったことは幸いだったが、成人男性ひとりを背中に抱えて帰ってくるのは想像以上に骨が折れた。したがって、思いも寄らぬ大荷物を自宅まで運んできた彼はひとまず一杯の水で喉を潤すことにした。
 この納屋のような一軒家は暗影の投じられた欧州の情勢を受け、通常では考えられない、まさに破格とも言うべき価格でヴェルヌイユが一年半ほど前に買い上げものだった。玄関を開けると正面には小さな台所があり、ソファや本棚、壊れかけのラジオといった日用品の置かれた居間、廊下を少し進むと左手に寝室がひとつ、右手には屋根裏へと続く階段と浴室、洗面所、古新聞や文学集、家具が山積みになった小さな物置、廊下の突きあたりには以前の住人がアトリエとして使用していたと思われる、美しい森に面する形でピアノがぽつんと置かれた一室……以上がこの隠れ家のおおよその見取り図だった。数年前に心筋梗塞で急死した父、テオドールが六人の子供たちそれぞれに残してくれた遺産はかなりの額に上ったので、まだ二十代でさほど収入のないヴェルヌイユはその遺産を別荘の購入に利用した。自宅の外には同じく遺産で購入した青のプジョーがひっそりと停められていたが、最後に乗ったのはここへ引っ越してきたときだった。購入した当初こそ、ヴェルヌイユはこの黒くて臭いガスを撒き散らして走る鉄の産物を毎日のように乗り回していたものだったが、周りの景観を楽しみながらのんびりと移動するほうがずっと自分の性に合っていることに気づいてからというもの、彼はほとんど車に乗らなくなった。
 すばやく水分補給を済ませたヴェルヌイユは改めて怪我人と向き合った。もしも軽薄かつ保守的な村人らがヴェルヌイユより先に目の前の怪我人を発見していたならば、青年はいまごろ哀れ、息の根を止められていたかもしれなかった。しかし、もはや世間の慣習だとか価値観などの束縛を一切受けることのない立場にいる彼にとって、目の前の青年は単なる一人の若者に過ぎなかった。この哀れな青年がどこの誰であろうと、ヴェルヌイユにはどうでもよいことだった。
 彼は名も知らぬ青年を柔らかな寝台に寝かせ、衣服の表面にまでたっぷりと血が滲み込んでいるズボンをいやに重々しい面構えで捲り上げた。生理的な不快感を覚える鉄の臭いが鼻腔を衝いた。負傷しているらしいことは把握していたが、この想像以上の深手にはさすがのヴェルヌイユも眉を顰めずにはいられなかった。銃弾による攻撃を受けたと思われる左肩と右腿の傷口には黒くなった血液がこびり付いていたが、川の水によってある程度洗い流されていたせいか、視覚的な衝撃は少なかった。したがってそれ以上にヴェルヌイユが我が目を疑ったものは体中の至るところに存在する、紫に変色した打撲の痕だった。腕には煙草を押し付けられた際にできるような火傷が確認でき、内出血によって紫に変色している脚、首回りから胸元にかけてうっすらと浮かび上がる平手打ちの痣など、戦場で受けた傷にしては不自然極まりなかったし、なによりも傷を負ってからまださほど日にちが経過していないように見える。脱走兵だろうか、とヴェルヌイユは手を動かしながら思った。