その死に損ないを発見したのは一九四三年の六月末、近所の商店で買い込んだ食料を小脇に抱えたヴェルヌイユが石橋を通りすがろうとしていたときのことだった。照りつける陽光が鋭く反射する水面に男の死体がぷかぷかと浮かんでいた。思いがけず遭遇した死体を目の前にこのくすんだ瞳の優男は訝しむというよりはむしろ感嘆し、無意識のうちに歩みを止めていた。実に退廃的な景観だった。ヴェルヌイユは良くできた蝋人形を間近で見ているような錯覚に陥ったまま、しばし惚けたような表情で水面を見つめ続けた。よどみない小川の清流と同様、緩やかに漂っていく時間という感覚を肌で感じながらも、しかし彼はふとおかしな違和感に気づくのだった。というのも死人にしては肌に色艶があるように思われたし、死斑も見受けられなかった。死体じゃない、まだ生きている、と彼は思った。心の隅にかろうじて残っていた良心の断片はヴェルヌイユをしごく真っ当な人格者たらしめ、気がつけば彼は少しの躊躇いもなく浅瀬へと駆け下りていた。
 大量の水を飲み込んで意識こそ失っているようだったが、擦過傷の痛々しい手首を掴んでみると、幸いにして微かな脈を確認することができた。血を流す負傷者、無残にも頭を打ち抜かれた遺体などもはや見慣れた光景のひとつと言っても語弊はなかろうが、それでもヴェルヌイユは自らの遭遇した状況がやはりどことなく非日常的であるように思えてならなかった。ごく一部の独裁者たちによる非情な悪行がさて人類史に書き加えられんとしている最中ではあったが、移り行く季節をあたかも素知らぬ振りで楽しまんとする飾り気のない田舎町は何事にも心動かされることを望まないヴェルヌイユにとって理想的な隠れ家だった。酒場や民宿、料理屋、商店のある村もぽつぽつ点在してはいたが、どこも人口が三百人を超すか超さないかといった小さな集落ばかりであったので、時おり上空から聞こえてくる戦闘機の音を除けば、閑静な田園風景や農場がただひたすら広がっているばかりだった。そんな美しい景観のなかで、河辺に横たわる瀕死の若者はヴェルヌイユの目には明らかに異様なものとして映った。ゲルマン系特有の長身に骨張った輪郭をした若者は栗色にも近い落ち着いた金髪に、自負心が高そうな眉、彫りは深くないが均整の取れた目元に、品のある端正な鼻筋、そして控え目な唇、また同時にしなやかな体つきにも恵まれ、したがってヴェルヌイユは好奇心という、あの俗っぽい感覚を久方振りに思い出すこととなったのだった。ヴェルヌイユは青年の脈がある程度落ち着いてきたことを確認したのち、彼の衰弱しきった体を背中に抱え、青々とした葉の生い茂る木々に囲まれた山林をふたたび歩き出した。