Un Secret




 他人に悩みを打ち明けたことはない。どうしてかって、その必要がないからだ。部屋の模様替えや、今夜の献立が決まらない時などは別として、たいていの問題は自分自身で解決するしかない。人に相談するなんて気休めも甚だしい。ああ、だがもちろんこれはおれのケースであって、友人からの慰めや助言を気休め以上のものとして素直に耳を傾けてしまうやつは多くいるだろう。現におれは人からよく悩みを聞いてくれと頼まれる。これといって断る理由はないので、だから大抵はワインの一杯でもおごらせて話を聞いてやることにしているのだ。
「そしたらあいつ、途端に無表情になって俺に言ったんだ。無防備すぎる、いつまでも俺が兄さんをただ守っていられるだけだと思うな、って。意味が分からねーよ! なんで俺が弟のあいつに守られなきゃならねぇの。無防備だから何だってんだよな、誰に命を狙われてるわけでもなし……」
「まあ落ち着けよ、ギルベルト」
 俺は右膝を上にして組んでいた足を組み直し、テーブルの中央に置かれたデカンタを掴んだ。「ワイン注ごうか? これ、最後の一杯だけど」
「ワインは飽きた。ビール注文するわ」
「ん、それじゃ前菜もう一つくらい追加で頼もう」
 脇に置かれていたメニューを手渡す際、俺はギルベルトの釣り目がちな瞳を覗き込んだ。そのままじっと目を見つめていると彼は怪訝そうに、だかいくらか気恥ずかしさを含んだような苦笑とともに首を傾げた。「なに、どうしたんだよ」
「いや、別に……何でもない」
「お前ってたまに変な行動取るよな」
「すまん、それギルにだけは言われたくない」
 俺はこいつに対して何ら特別な感情を抱いてないが、確かにルートヴィッヒが言うように、こいつは少し無防備な部分があると思う。いや、無防備なだけじゃなく、それに鈍感さも加わっているのだから始末が悪い。俺はどうやらルートヴィッヒが実の兄に対し、兄弟愛とは別の次元のもっと性的で激しい感情を抱きつつあることに薄々勘付いていた。
「それにあいつ、俺がシャワー浴びてタオル一枚で部屋をうろうろしてると怒鳴りつけてくるんだぜ。信じられるか? 俺は入浴後のビールも楽しむ権利ねーの? しかもあそこ、一応俺の家だし」
「そうねぇ、お兄さんもシャワー浴びた後にワイン飲むのは好きだから、お前の気持ちは分かる」
「だよな! っていうか、最近のヴェストはぜってぇおかしい。やたら怒ってきたかと思えば、急にすっげー優しくなるんだ。落ち着かねぇよ」
 そして俺の予想が正しければ、ギルベルトも弟に対して兄弟愛以上の感情を抱いているようだ。が、当の本人は弟から向けられる気持ちに気付いていない。いや、或いはすでに気付いているが、確信を持てずにいるのかもしれない。
「……なんか隠し事、されてんのかな」
「そりゃ一つ屋根の下で仲睦まじく暮らしているとはいえ、お互いのプライバシーは尊重しなきゃダメだろ。ルートだって良い年なんだし、後ろめたい隠し事の一つや二つあったっておかしくないと思うよ?」
「後ろめたいこと……」
 ギルベルトは俺がテーブルに置いていたシガレットケースからライターを取り出すと、それはもう落ち着かなそうに火を点けたり消したりし始めた。見ていて少し気の毒になってきたが、あまり気にしないようにした。彼は何度か点火を繰り返したのち、唇の先を尖らせて言った。「だとしても、俺はあいつがSMに興味があろうとアダルトゲームに興味があろうと、別に引いたりしねぇし……まして嫌いになんてならねぇのに」
「だったらお前、もしもルートが部屋でオナニーしてる場面に遭遇しても顔色を変えない自信ある? ないだろ? 誰だって相手が気まずくなるような状況は避けたい、これって普通のことだとお兄さんは思うけどね」
 まるで喜劇だ。道徳心を投げ捨てて互いに本音を打ち明けていれば、自分たちがとっくに両想いであることに気付けただろうに、このどこまでも不器用な兄弟はいまだ罪悪感と闘っている。
「あいつ、俺のこと……どう思ってんのかな」
 彼がどういった返答を求めているのか、俺は知っている。きっとこう言って欲しいのだろう、ルートヴィッヒはお前のことを恋愛対象として見てるんじゃない? でも常識人のあいつはお前と血が繋がってることを気にしていて、自分の想いを伝えられずにいるのかもしれないね……と、こんな具合だ。
 いま一つ確信が持てずにいるギルベルトは自らの見解を第三者である俺に打ち明け、肯定して欲しがっている。だから今日、こうして俺を呼び出したのだろう。
「過保護なルートヴィッヒのことだし、きっと世界でいちばん大事な兄さんだと思ってるに違いないと俺は思うね」
 気付けば俺は、あえてギルベルトが求めていないであろう言葉を返していた。「なにはどうあれ、兄想いの弟を持って幸せじゃないの。何の不満があるっていうわけ? お前らほど仲がいい兄弟って、俺見たことないよ?」
「……だよな、うん」
「よし、解決! それじゃ俺はもう帰るから」
「って、もう帰っちまうのかよ!」
 ギルベルトは納得がいかないといった表情で俺を上目遣いに見上げ、そして不満たっぷりに叫んだ。「この店出たらアントーニョんちに押しかけてやろうと思ってたのに!」
「悪いけど、今夜は先約があるんだ」
「デートか」
「そんなところ」
「リア充め、くだばれ」
 妬くなよ、と俺は薄手のジャケットを羽織りながら笑った。「久し振りに話せて楽しかったよ、ジル。また今度ゆっくり飲もうぜ、次はアントーニョも誘ってさ」
「おう、また電話するぜ! デート楽しんでこいよ」
「メルシー」
 俺はギルベルトからライターを奪い取ると、テーブルに置いてあったシガレットケースごとポケットに突っ込んだ。会計はすべてギルベルトの負担なので、俺はせめてもの気持ちとして七ユーロのチップを灰皿の脇に置いておくことにした。このカフェは初めて来たが、悪くなかった。ギャルソンは品が良く好感が持てたし、出された料理にも不満はない。今度はあの女の子を誘って来るか……そんなことを考えながら店を出ようとした俺だったが、ふと思うことがあって一人寂しくノートパソコンからブログの更新を試みている友人を振り返った。
「そうだ、弟に襲われないように気を付けろよー」
「はっ!? おまえっ……」
 ギルベルトは途端に顔を真っ赤にして慌てふためき、テーブルの隅に置かれた灰皿を床に吹き飛ばした。


 俺は先ほどのカフェから歩いて十分ほどの距離にある、”先約”との待ち合わせ場所へ向かった。約束の時間よりも少し遅くなってしまったが、許してくれるだろう。こういうのは付き合いたての恋人同士の特権だと思う。フランス人はよく時間にルーズだと言われるが、俺の場合は仕事柄、外国人とやり取りをすることが多くある。それを許してくれる相手と許してくれない相手とはきちんと区別しているつもりだ。
「グーテン・アーベン、ムッシュー」
 少しも悪びれず待ち合わせ相手の肩を叩けば、眉間に皺を寄せたオールバックのドイツ人がこちらを振り返った。
「フランシス、遅くなるならメールしてくれとあれほど……」
「うん、ごめんね? 親友がなかなか放してくれなかったんだよ」
 ふてくされた顔をしているルートヴィッヒを軽く抱きしめ、俺は左右の頬へキスを送った。「ところで、俺に相談って?」




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