Happy Ending
ビセンテは抜かりなく事務所の戸締りを終えると、階下の管理人に鍵を預けに向かった。夫と共にひっそりとした老後を送っていると聞くサニョル夫人は言った。「初めて見る顔だけど、新入社員なの?」 「いいえ、そういうわけでは……二年半前から働かせてもらっています」 「まあ、そうだったの。それにしてもすごく趣味のいいマフラーをしているのね、あなた」 「ありがとうございます、サニョル夫人、良い週末を」 「ええ、あなたも。気を付けて帰るのよ」 感じの良い老婦人とのやり取りに僅かながら元気付けられたビセンテはアパルトマンの扉を開けた。外はまるで絵に描いた冬景色のごとく、柔らかな雪が幻想的にちらついていた。くすんだ色を湛えた夕空をぼんやり見上げていた彼は、さてようやく駅へと足を向けようとしたところで、通りを挟んだ真向かい側の門から一人の青年が出てきた。ビセンテはマフラーを巻き直していた手の動きをぴたりと止めた。その人物は紛れもなくカミーユであった。相手の青年もこちらに気が付いたようで、カミーユは満面の笑みを浮かべて叫んだ。「お疲れさま! 良かったら一杯飲んでいかないか、この後なにも予定が入っていなければの話だけど」 彼の声質はビセンテが想像していたよりも幾分男らしく、伸びやかさにも欠けていたが、カミーユよりもずっと表情豊かでなおかつ魅力的な声の持ち主であった。 「いいよ、きみのお勧めの店に連れて行ってくれ」 ビセンテはこれまで自分が想像していたカミーユがいかに薄っぺらく、ちんけで安っぽい人物であったかを思い知らされた気分だった。現実が理想を遥かに上回るという事態に遭遇し、この二十四時間に彼を襲ったいくつかの不運に対する怒りや苛立ちは驚くべき無意識のうちに消え去っていた。良い週末になりそうだ、と彼は思った。
書いた時の原形がこちらのページにある文章で、物語として考えていたときの原形が実際にアップされてあるものです。 |