Für Sarah



「……平気ですか?」
 赤く色づいた部分を舌先でつつきながら伯爵の顔色をそっと窺った。かつての感覚をなかなか取り戻せずにいるようで、ぼくの唇がほんの少し肌に触れただけでも彼は目の前で揺れているぼくの髪を落ち着きなく梳きはじめたり、わずかに肩を震わせたりするのだった。
 伯爵は居心地が悪そうに身じろぎをしたが、こくこくと頭を縦に動かした。
「そのまま、続けて」
 ぼくはまるで自分がとても恥ずかしい行為をしているような錯覚に陥ったが、気にすることなく再びその部分に強く唇を押し当てた。日の光を好まない白い肌の感触を味わうように、上下ふたつの唇を使って優しく愛撫するよう努めた。が、いかんせんぼくは不器用なので、どうしたって上手くできない。歯が当たってしまう。
「っ……!」
 伯爵はびくりと背をのけ反らせ、怒ったような困惑したような声でぼくの名を呼んだ。「アルフレート」
「は、はいっ!」
 ぼくはすかさず頭を上げた。「……なんでしょうか」
 彼は乱れた襟元の飾りを指に絡ませながら、やはり困惑げに言葉を続けた。
「わたしが教えたこと以外は、しなくていい。それよりも扉の錠はきちんとかけてきたか? もしもいま息子が入ってきたら、また厄介なことに……」
「大丈夫です」
 ぼくは彼の上気した頬に右手を添え、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですから、安心して下さい。プロフェッサーの助手をしていたころのようなヘマをやらかすほど、ぼくはもう子どもじゃありません。もっともあなたから見れば、今も以前もぼくなんて生まれたての赤ん坊にしか見えないんでしょうけど……」
 ぼんやりと浮かんでいた月を黒い雲がすっぽりと覆い隠したせいで、ぼくらを照らす唯一の明かりといえば心許なく揺れる燭台の炎だけになっていた。
 彼の乱れた衣服をわずらわしく感じたぼくは、強引にそれらを剥ぎ取ってしまった。きれいに皺の伸ばされた黒のシャツから一、二個の釦が飛び散った。
「はっ!? あ、あっ、アルフレート! きみはわたしが言ったことを……」
 めったに服装を乱すことのない伯爵の白い首筋を見ているうちに、ぼくは冷静さをすっかり失ってしまっていた。
 戸惑いをあらわにする伯爵の声なんて、このさい聞こえない振りをした。そのまま彼の体を洗いたての白いシーツの上に押さえつけ、さらに閉じていた両足をぐいっと左右に割る。ぼくは自分の上半身をするりとそこへすべり込ませた。
 普段であれば体格のいい伯爵の腕力にぼくが敵うわけないのだろうが、今日の彼はおそらく血が足りていなかったのだろう。女性のような弱々しさすら感じさせた。体の火照りを抑え切れなくなったぼくは上着を脱ぎ、それを荒々しく床に放り捨てた。
「苦痛さえも喜びに変わると言ったのは、たしかあなたでしたよね」
「えっ、あ――」
 唾液で十分に濡らしてあった自分自身のそれで、彼の薄い皮膚を一思いに貫いた。先程までとは異なる場所に新たな衝撃を受けた伯爵は小さく悲鳴を上げ、顎を反らせた。「はぁ、ッ、いた……」
「あなたが教えてくれたんです、これまでぼくが知らなかったことを」
 ぼくは体中の血管がどくりと脈打つのを感じた。もう止められないし、止める気などさらさらなかった。
 どろりとした液体が溢れ出る部分に指を這わせ、先端のくぼみを二本の指で器用に挟み込んだ。絶え間なく溢れ続けるその艶やかな色をした液体が、ぼくの指先とシーツを汚した。
「舌を……出して下さい……」
 指に付着したそれを彼の口元に持っていった。ぼくは自分の呼吸が無意識のうちに荒くなっていたことに気づいた。伯爵は苦悶の表情を浮かべながらも、おそるおそる唇を開いた。口内に迎え入れられた人さし指に熱い舌がぬるりと絡みついた。ぼくは彼の首筋に顔をうずめ、室内を満たす甘い香りに酔いしれながら心行くまで伯爵の血を啜った。


「我々とてある程度の理性は必要だと思わないか、アルフレート」
 元より青白い顔をしている伯爵ではあるが、今夜にかぎってはさらに青白さを増していた。焦点の合っていない彼の両目はどうにかしてぼくの姿を捉えんと揺れているものの、いまいちズレていた。
「……おっしゃる通りだと思います」
 痛いうえに下手くそで汚い、と愛するサラに血の吸い方を手厳しく非難されたのは遡ること半日前だ。しかし、そう罵られても致し方なかった。ぼくはついつい我を忘れて行為に夢中になり、クコールが調達してきたばかりの彼女の新しいドレスに黒い染みを残してしまった。怒ったサラはあの恐ろしいヘルベルトと仲良く手を繋いで、部屋から出て行ってしまった。
「きみはわたしの体から一滴残らず、血を吸い尽くすつもりなのか?」
 だからぼくは経験豊富な伯爵に“吸血”の手ほどきを受けようと思い立ち、彼の書斎を訪れた。これが遡ること二時間ほど前だ。
「違います、でもつい抑えがきかなくなって……」
 だが、物の見事に大失敗してしまった。その後、ぼくは『楽しいヨーロッパの庭園』シリーズ第三巻のページをけわしい手つきでめくる伯爵から一晩かけて長ったらしいお説教を食らうはめになった。