ラジオから流れ出す陽気なシャンソンに合わせて肩を揺らすことでヴェルヌイユは浴室の掃除という肉体的にも精神的にもどっと疲れの溜まる家事の疲労感を少しでも和らげんと試みていたが、真っ赤に染まった両手を動かすたびに彼の細っこい体は悲鳴を上げた。
 あと半月後には十月がやってくるというのに、悲しいかなシャワーの排水溝が詰まり、仕舞いには下水が溢れ出すといった予期せぬ事態に遭遇した。原因は不明だが、おそらく年々老朽化していく住居の手入れを管理会社が怠っていたせいであろう。なんだってこんな寒い日に限って、とヴェルヌイユが愚痴をこぼしている様子を窓の外から覗き見ていたブルーノは平然と尋ねた。「友よ、首尾はどうだい」
「黙れよ」
「だからおれが直すって言ったのに、強がるから……」
 暖炉の薪を割っていたブルーノは額の汗を拭った。「代わってやろうか?」
「いいや、結構だ」
「そう意地を張るなって」
 ブルーノは呆れたように言った。ヴェルヌイユは排水溝を修理してやるというブルーノの申し出を断り、あくまでも自分の手で直して見せると言い張った。彼にしてみれば、これはブルーノが怪我の後遺症で引きずっている左足を気遣ってのことだったのだが、当のブルーノはそれを余計なお世話と感じているらしかった。
 さて、このところさっぱり姿を見せなかったファニーが数週間ぶりに彼の住まいを訪れたのは九月も半分を過ぎた、そんな昼下がりのことだった。いかにも神経質そうなブルーノを彼女がこころよく思っていないのは明らかだったので、少女はもう以前ほど頻繁にヴェルヌイユの顔を見に来なくなっていた。だが村で偶然すれ違うようなことがあれば大声でヴェルヌイユを呼び止めたし、彼への興味が完全に薄れたわけではなさそうだった。
「こんにちは、フランソワ、あたしよ! どこにいるの?」
 子供らしくよく通る声が玄関から聞こえてきたので、ヴェルヌイユは排水溝を磨いていた右手の動きをぴたりと停止させた。「いま、声が聞こえたよな」
「聞こえたね」薪に向かって再び斧を振り下ろさんとしていたブルーノも彼と同様、動きを止めた。彼の言葉には刺々しさが見え隠れしていた。「あの子供だろ、お前のことを気に入っている……ファニーだっけ?」
 彼がファニーに抱く嫌悪の出所は、ヴェルヌイユには理解できかねるものだった。が、兄のエドガーがそうであったように、無邪気な子供の姿を目にしただけで機嫌を損ねる類の人間は意外と多いものだ。ブルーノもそういった不器用な男たちのうちの一人なのだろう、と彼は勝手に結論付けていた。
「ここだ、ファニー」ヴェルヌイユは玄関に向かって声を上げた。「浴室にいる」
「浴室? まさか入浴中じゃないでしょうね?」
 力強い足音が近付いてきた。その足音は脱衣所の手前で止まった。
「おやまあ、なんだか大変そうじゃない」
 ファニーは妙な体勢でブラシを動かしているヴェルヌイユの姿を確認して笑顔になりかけたが、次の瞬間、排水溝から漂ってくる悪臭に思いきり眉をしかめた。「いやだ、臭いわ」



            
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