「よく知ってるな」
 同居人の思いもよらぬ造詣の深さに驚きつつも、ヴェルヌイユはどこか嬉しそうに尋ねた。「好きなのか?」
 ラジオから流れ出す音楽にしばし耳を傾けていたブルーノは不意に言葉を投げかけられ、それまで浮かべていた無防備な表情から一変、穏やかさとは無縁の鋭いまなざしをヴェルヌイユに向けた。「別に好きじゃない」
 青年は苛立った様子で答えたかと思えば、ふたたびラジオの抓みを回し始めた。
「すぐにそうやって詮索しようとする。あんたの悪い癖だ。放っておいてくれ。不愉快だ」
「……悪かった、少し無神経な質問だったな」
「もういい、黙っていてくれ」
 またいつもの癇癪が始まった、とヴェルヌイユはわずかに肩を竦めた。めったに声を荒げることのないヴェルヌイユとは正反対に、ブルーノはいささか感情的になりやすく、すぐにカッとなるたちだった。ブルーノが機嫌を損ねてしまった際はしばらく一人にさせてやるのがいちばんだということを彼は知っていた。すぐに機嫌を損ねはするが、この癇癪持ちの青年は機嫌を直すのも早いのだった。おおらかなヴェルヌイユとてむっとすることもときにはあったが、世話の焼ける子供の面倒を見ているとでも思えばさほど腹も立たなくなった。イザベルの教え子たちの子守りをしていた経験もあるので、子供の扱いは心得ているつもりだ。彼らの気まぐれはたいてい時間が解決してくれる。怒っていたかと思えば、次の瞬間には笑っている。慣れてしまえば、どうということはない。
 案の定、ハーブティーの入ったティーポットがすっかり空になった頃には、ブルーノの機嫌もある程度は直っていた。彼はヴェルヌイユが採点してくれた練習問題のいちばん下の部分に《もっと難しい問題を!》と書き添えたところだった。余ったクッキーを箱に戻していたヴェルヌイユは顔をしかめた。
「難しけりゃいいってもんでもないだろうよ」
「ああ、そう?」
「大事なのはきちんと復習して、教えられた内容を忘れないようにすることだ」
「劣等生にそんなことを言われてもな」
「随分と言うようになったじゃないか」
 ははは、とブルーノは笑った。ヴェルヌイユもつられて笑った。
 二人はそれからふたたび勉強に戻った。ヴェルヌイユはブルーノの物覚えの良さをしきりに褒めたが、彼はそのたびに「誰だって一日に何時間も勉強すれば、すぐに上達するさ。おれだけが特別というわけじゃない」と当然のように返すのだった。
 ヴェルヌイユはこの優秀な教え子を誰かに自慢したい気持ちでいっぱいだった。近いうち、ファニーがやってきたときにでも二人で会話をさせてみようか。そうだ、それがいい。いつまたベートーヴェンが流れ出してくるかわからないので、その際はラジオの電源を切っておくことを忘れないようにしなければ、と彼は思った。



            
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