「ただでさえ食料不足が深刻なご時世だっていうのに、お前ときたら……まあいい、おととい買ってきたクッキーを開けよう。飲み物はどうする? コーヒーで構わないか?」
「いや」と、ブルーノは手元にあるノートを気だるげに眺めながら即答した。「ハーブティーにしてくれ」
 カフェオレ・ボウルへと伸ばしていた手を瞬時に引っ込め、ヴェルヌイユはモロッコ風のグラスを二つ取り出した。寝台から起き上がれるようになった当初、ブルーノは居候という自分の立場を考慮してか、率先して家事の手伝いなどを行っていたものだったが、しばらくして彼の左半身にいまだ軽度の痙攣、そして手足には痺れが残っているらしいことに気付き、ヴェルヌイユは彼がいくら瀕死の重傷を負っていたとはいえ、安易な応急処置を行ってしまった自分を少なからず責めていた。が、さも深刻そう面持ちでお湯を沸かし始めたヴェルヌイユをよそに、当のブルーノはといえば母国語で呑気にぼやくのだった。「“なにが悲しくて、この年になって一からフランス語を覚えなきゃならないんだか“」
「なにか言ったか?」
 台所の窓辺に置かれた鉢植えに水を注ぎながら、ヴェルヌイユはさも興味なさげに尋ねた。
「別に」
 くすくすと笑ったのち、ブルーノはレースのくたびれたカーテンが引かれた出窓を勢いよく開け放ち、数日振りの晴天を眩しそうに見上げた。彼の視界の先に広がる青は一見すると平和そのものであったが、それでも週に数回は戦闘機が上空を通過する。虚無な轟音が鼓膜を刺激するたび、目の前でクッキーを頬張っているこの善良な青年が絶望的な畏怖に意識を乗っ取られそうになるらしいという状況をヴェルヌイユが把握したのは、ほんの十日ほど前のことだった。
 夏の余韻を残した柔らかな日差しを浴びていたブルーノは、今日は本当にいい天気だ、と誰に同意を求めるわけでもなく、率直な感想を口にした。彼の頼りないうしろ姿は、ヴェルヌイユの無機質な双眸にひどく物悲しげに映った。
「そうだ、いまさらこんなことを聞くのも変だと思われそうだけど、どうしておれを助けてやろうという気になったんだ?」
 慈しみに満ちた陽光を楽しんでいたブルーノは、沸騰したお湯を憂慮の面持ちでティーポットに注ぐフランス人に向かってこう尋ねた。
 ヴェルヌイユは顔を上げた。「いったい何の話をしているんだ?」
「あの日のことだよ。あんた、おれを助けてくれただろ。あんたが医者の息子だったから? それとも単なる気まぐれだったのか?」
 ブルーノのまなざしは真剣そのものだった。ああ、二ヶ月前の初夏のことか、とヴェルヌイユは理解した。重苦しい深刻な空気を苦手とする彼はいつも通り、ブルーノの問い掛けを適当に受け流すべきであろうかと迷った。だが、正直に本心を打ち明けるほうを選んだ。そうするべきだと思った。
「自分の目の前で死にかけているやつをそのまま見捨てるなんて、おれにはできなかった……とでも言えたら格好がついたんだろうが、あの時はいまお前の言った通り、単なる気まぐれで助けただけだ。気付いたときには体が勝手に動いていたことは事実っちゃ事実だけど、わかるだろ、おれは率先して人助けをするような性格じゃないし、深い意図はなかったんだ」



            
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