「おれは平気だから、ブルーノ、ここに座って」
 ヴェルヌイユは密着させていた頭をのそりと離したかと思えば今度は青年の腕を強く引き、その体を自分の膝の上に乗せた。彼は青年の右頬を愛おしげに撫で上げた。「髪が濡れているし、服も濡れている。一人でどこへ行っていたんだ?」
 ヴェルヌイユは落ち着きなく視線を彷徨わせている青年の体をシャツ越しに愛撫しながら尋ねた。リネンの生地は水分をたっぷり含んでおり、血色の良い柔肌が透けて見えた。「水浴びか?」
「“河辺で探し物をしていたんだ”」脅えているようにも見える表情でブルーノは明後日の方角に顔を向けた。「“見つからなかったけど”」
「どんな理由があったっていいさ、こうして帰ってきてくれたんだから」
 ヴェルヌイユは物言いたげな彼の背に両腕を回し、軽く抱擁した。「でもひとつだけ約束してくれ、二度とおれに一言も告げずに家を出て行ったりしないで欲しい。おれの言っていることが理解できるか?」
「ああ、わかった。ひとりで出歩かない」
「よし」
 ヴェルヌイユは生き生きとした、揺るぎのない決意に満ちた目で彼の頬に口付けた。「そうと決まれば、さっそく列車の手配を……ああ、でもまずは身分証が必要だな、それと旅券も。おれはひとまず明日、マルセイユで商売をしている叔父に連絡を取ってみることにしようと思う。しょうもない悪事に手を染めたせいで妻子に逃げられたっていう情けないやつなんだが、なんだかんだで面倒見の男だし、なによりも信用できる。彼ならお前に必要な書類だとか、なにもかも手配してくれるはずだ」
 言葉の壁とは大きいもので、基本的な感情の伝達こそ身振り手振りでどうにかこうにか補えるものの、感情以外の、いわゆる説明的な部分を補うことは不可能に等しい。したがって、ヴェルヌイユが新たな決意を胸に抱いて目を輝かせている最中も、当事者のひとりであるブルーノがその仔細を推して測ることはおおよそ無理な話だった。
 自らの置かれた状況こそよく呑み込めていなかったが、ゆっくりとした時の流れる、この平穏で幸せな午後のひと時が脅かされているのではなかろうか。そんな不安を感じ取ったブルーノは黯然たる眼差しを浮かべながら、ヴェルヌイユの後ろ髪をただただ無心に撫でつけるのだった。



            
home