以来、その人目に付かない一軒家からは四六時中レコードのぎこちない音が聴こえてくるようになった。当初のうちこそ難色を示していたヴェルヌイユだったが、音楽を流しているときのブルーノの寛いだ表情を見ていると何の文句も言えなくなってしまうのだった。それに結局のところ、彼はいまでも音楽を愛していた。常に音楽が身近にあった過去の記憶を遠ざけんと蓄音器を倉庫に放り込んではいたものの、そこから聴こえてくる温か味のある穏やかな音色は彼の心に安らぎを与えてくれた。ヴェルヌイユは自分が悲しみの段階をすでにひとつ乗り越えていたことを知った。音楽を耳にしても取り乱すことがなくなった……これは大きな進歩だ。
 互いが選んだレコードを代わる代わる流しながらチェスやトランプに興じたり、ブルーノにフランス語の読み書きを教えたり、それ以外の時間は読書、家事、庭仕事などを各々行うというのが午後のお決まりの過ごし方となった。ほんの一ヵ月前までは朝から晩まで常にカーテンの閉め切られた、生活感などまるで存在しないような薄暗い空間で寝起きしていたというのに、いまやかつての陰鬱さはすっかり影をひそめ、ヴェルヌイユの生活は驚くべき速さでもって人間らしい様相を取り戻し始めていた。カーテンは日の出とともに開け放たれ、新鮮な空気と輝くような太陽の光とが室内を満たした。
「遠慮する必要はないんだ、ブルーノ、いいから食えって。それともまさか、おれが自分の食事を削ってまでお前にタダ飯を食わせてやっていると勘違いしてるんじゃないだろうな」
「“家主のあんたを差し置いておれだけが食事をするなんて、そんな厚かましいことできるわけがないだろ“」
「何度も同じことを言わせるな」
「“おれは絶対に食べない”」
 ヴェルヌイユは大学を卒業し、一区のプティ・シャン通りのアパルトマンの屋根裏で一人暮らしを始めてから現在に至るまで、日に一、二度しか食事を取らないという不規則な食生活を送っており、それが習慣のひとつとしてすっかり定着してしまっていた。しかし、自分だけが日に三度の食事を与えられていることに気づいたブルーノは以後、家主が食卓で皿に手を伸ばそうとしない場合には彼自身も断固として料理に手を付けようとせず、些細な口論に発展することがしばしあった。口論といっても彼らは互いの言語がほとんど理解できなかったのであくまでも一方的に意思をぶつけ合うのみだったが、もしかするとブルーノは語学に精通していないドイツ人を演じているだけなのではなかろうか? と疑いたくなるほど、この居候との意思の疎通は日を追うごとに円滑さを増していった。