寝室に篭もりきりだった青年の容態がようやく安定を見せてきたのは、河辺での遭遇から数えて十日目のことだった。
 まだかろうじて初夏と呼べる気温に穏やかな日射しを保っている野外は過ごしやすく、ヴェルヌイユはその日も常のごとく思考の鈍った頭を覚ますべく、きれいに刈り上げられた芝生の上にひょろりとした図体を横たえていた。彼は今朝方ある不快な夢を見たような気がしてならなかったのだが、肝心の内容を思い出せずにいた。彼は東向きの出窓に置きっぱなしにしていたせいですっかり熱を持ってしまった蒸留酒のボトルを脇に置き、さてもう一眠りするべく瞼を閉じ、そして深い眠りに誘われるあの瞬間を待ち構えた。
 ヴェルヌイユはここ一年ほど、頻繁に訪れる悪夢に悩まされていた。日中だろうが夜中だろうが、それは時間を問わず彼の精神を苛んだ。一晩のうちに三度、四度も悪夢によって目覚めることさえあった。夢の内容はまちまちで、その大半はすぐに忘れてしまうようなものだったが、悪夢であることに変わりはない。血だらけの見知らぬ女性が包丁を持って追いかけてくる夢もあれば、幽霊のせいで交通事故を起こす夢、夢のなかで昼寝をしていたヴェルヌイユがふと目を覚ますとイザベルが目の前で焼身自殺を図ろうとしていた夢を見たこともあった。日中であればまだしも、夜中にこのような夢を見てしまったときは最悪だった。パリのアパルトマンに住んでいたときも悪夢に襲われることは度々あったが、すぐ近くにエドガーや弟たちが住んでいたし、心優しい階下の年老いた夫人は彼の悲鳴を聞きつけては「大丈夫なの?」と深夜にも関わらず、彼の住んでいる屋根裏までわざわざ足を運んでくれたものだった。だが、ここでは誰も助けてはくれない。ヴェルヌイユは自分ひとりで悪夢と向き合うほかなかった。自分自身の悲鳴によって目が覚めた彼は激しくなった動悸を落ち着けるべく温かいハーブティーを淹れ、何度読み返しても飽きることのない『ドン・キホーテ』や、モリエールの戯曲集を本棚から取り出し、ふたたび眠気に襲われるまでの時間をのんびりと過ごした。彼は元々睡眠を取ることが好きだったので、これによって不眠症に陥ることはなかったが、それでも立て続けに悪夢で目が覚めた晩などは朝日が昇るまで眠りにつけないことが多くあった。生前の父を殺める夢を見ることも月に二、三度ほどあったが、これについてはあまり深く考え込まないよう努めていた。この近所に腕のいい精神科医でもいれば話は別だっただろうが、いまの彼はゆったりした気分になれる方法を自分なりに模索していくほかなかった。以前までの彼であれば、悪夢にうなされて真夜中に目が覚めるなど小説の読み過ぎだと笑い飛ばしていたところだったろうが、いまや悩みの種のひとつだった。逆に言えば、それほどまでに以前の彼は生き生きとしており、些細な悩みごとの一つや二つあれど、精神的な意味で大きな壁にぶち当たった経験は一度もなかった。ヴェルヌイユはそれだけ経済的に恵まれていたし、友人たちにも恵まれていた。