愛する義姉が他界したという訃報を受けて以来、人当たりが良いともっぱらの評判であり、かつ機知に富んだ会話で周囲の者を楽しませることを自らに課せられた使命の一つとさえ思い込んでいたフランソワ・ヴェルヌイユは哲学者アリストテレスが提唱したところの所謂“社会的動物”が持ち合わせるあの薄弱な精神を体現するかのごとく、人が変わったかのようにすっかり塞ぎ込むようになった。
かつてヴェルヌイユの人生を美しく照らしていたものが二つあった。彼にとって最大の良き理解者であった義姉イザベル、そしてもう一つは彼がもっとも素直に自分を表現することのできた音楽、すなわちヴァイオリンの二つである。が、いまやヴェルヌイユにとってそれらを思い出すことは耐えがたい悲歎に自らの身を投じるも同然の行為だったので、とうとう彼は長年慣れ親しんだパリを離れ、のどかな田園風景の広がるフランス北東部で人目を避けるかのような隠遁生活を始めることにした。人づてにこの噂を耳にした以前の彼を知る者たちは、所詮はよくある一時的な疎開に過ぎず、あの気紛れなフランソワのことだ、どうせ数ヶ月もすれば何事もなかったかのようにパリへ舞い戻ってくるに違いない、と口を揃えて言っていたものだったが、気付けばあっという間に早一年ほどが経過していた。
陰惨な戦渦にあってもかろうじて人間らしい喜びが残っていたかつての日々は、一瞬にして様相を変えてしまった。それどころかあとには何ひとつ残っておらず、ヴェルヌイユの瞳には過ぎ去った年月の記憶が影のようにひっそりと付き随うばかりだった。