■サン・ドニ大聖堂と聖ディオニシウス
聖ディオニシウスのフランス名。ディオニシウスは「ディオニュソスの召使」という意味。
異教の僧侶にモンマルトルの丘(モンマルトル=古いフランス語で「殉教者の山」)で断首されるも、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によると切り落とされた首を拾い上げ、そこから数キロメートル、説教をしながら歩いた。だがとうとう力尽き、絶命してしまった場所に現在のサン・ドニ大聖堂の前身である小さな礼拝堂が建てられたと言われている。
サン・ドニ大聖堂のステンドグラスはフランス、イギリス国内で模倣され、十二世紀の美しいステンドグラスはサン・ドニ派と呼ばれる。
フランスの歴代王族が埋葬されている大聖堂でもあったが、フランス革命期以降は破壊され、ルイ十六世、マリー・アントワネット、エリザベートらはサン・ドニではなくマドレーヌ寺院に、ルイ十七世はタンプル近くの教会の無縁墓地に埋葬された。
■シュジェール
Suger de Saint-Denis/1081年頃~1151年1月13日
スゲリウス。1122年に41歳で、ベネディクト会サン=ドニ修道院の院長となる。ルイ六世とは学友で、政治顧問を務める。その子ルイ七世の教育係も務め、第2回十字軍に出征しルイ七世が不在であった1147年から1149年にかけては摂政も務めた。院長になってからはサン・ドニ大聖堂の改築に着手し、ゴシック美術史では欠かすことのできない重要な役割を担っている。