アンシャン・レジーム期のパリの劇場は主にコメディ・フランセーズやオペラ座と、それ以外の大衆劇場の対立が基本。庶民が行くような芝居小屋ではパントマイムなどが多かった。当時の大きい劇場としてはマレー座とオテル・ド・ブルゴーニュ座、コメディ・フランセーズ、悲劇が中心のイタリア座、1782年に作られたオデオン座など。特にオテル・ド・ブルゴーニュ座は1548年、マレー座は1630年に成立し、かなり昔からある劇場ということになる。この二つの劇場の次にくるのがコメディ・フランセーズ。マレー座はお堅い芝居よりも大衆向けの機械仕掛けの演目が中心だったらしく、17世紀にラシーヌとモリエールがピリピリした関係にあったときも、わが道をゆくという感じで公演を行っていた。
ほかにはタンプル大通りの界隈にあったオディノ座(1789年以降はアンビギュ・コミック座)、ヴァリエテ・アミュザント座、ニコレのグラン・ダンスール・デュ・ロワ(1789年以降はゲテ座)。あとはアソシエ座(革命期はパトリオティック座)、1788年にオープンしたシルク・オリンピック座、パレロワイヤルのボジョレー座など。
革命期をすぎたあとはものすごい勢いで色んな作品が上演されはじめて、19世紀に入るとタンプル大通りを中心に、新しい劇場がどんどん造られた。